佐竹利子 サタケ 代表

祖父が種をまき、父が育てた会社を、夫と共に世界の企業に
創業から108年。培ってきた技術とノウハウを注いで世界の食文化向上に役立ちたい。

夫の遺志を継ぎ、広島大学の多目的ホール建設に援助

 昨年春、広島大学・東広島キャンパスの中に、グランドピアノをイメージした美しい外観の「サタケメモリアルホール」が誕生した。オーケストラピットや本格的な音響設備、客席千席を備えた立派なホールだ。地域にも開放され、会議や講演、コンサートなど、さまざまなイベントに利用されている。

 (株)サタケの前代表・佐竹覚さんは「日本は資源の少ない国だから、優秀な人材、頭脳を育てなければならない」という考えのもとに、サタケ技術振興財団や広島大学後援会を設立するなど、研究者の支援を熱心に続けてきた。その覚さんが平成12年11月に急逝した後、妻であり、現代表の利子さんが夫の遺志を受け継ぎ、私財から多額の援助を広島大学に申し出て、大学だけでなく地域住民も気軽に利用できるホールならと建設に協力した。広島大学は、覚・利子両代表の名をいつまでも留めようと、このホールを「サタケメモリアルホール」と名付けた。

昭和60年頃の覚・利子夫妻
 今では、世界トップの食品加工機総合メーカーの地位を確立している(株)サタケの歴史は、初代社長の佐竹利市さんが日本で最初に動力精米機を考案、生産・販売を開始したことに始まる。利市さん33歳、明治29年のことだ。寝ても覚めても精米機のことを考え続けた利市さんは、次々と優れた精米機を発明する。東広島市は酒どころ。酒ファンに人気の高い吟醸酒は、利市さんが醸造用精米機を開発したことにより、この世に生まれた。

 精米機の開発に独力で取り組んだ利市さんの後を受け継ぎ、さらに発展させたのが二代目の利彦さん。昭和5年には親子の共同研究で、画期的な「横型高速度研削式胚芽米搗精機」を完成させている。現在の精米に関する理論や資料のほとんどは利彦さんの手によるもので、生涯に千を超える特許を取得し、精米技術の研究により、東京大学から農学博士号を授与されている。その論文は精米のバイブルとして世界中で参考書とされている。

常陸宮、同妃両殿下ご視察
 三代目を引き継いだのが、利彦さんの一人娘である利子さんが米国留学中に運命的に出会った覚さん。父親が商社マンであったことから、米国で育ち、教育を受けた覚さんは、抜群の経営センスとダイナミックな発想を持っていた。利子さんは「祖父が種をまき、父が育て、主人がグローバル企業に発展させてくれた」と話す。  

米国留学中に働く喜びと厳しさを体験

 夫の急逝で突然「世界のサタケ」を一人で背負うことになった利子さん。席が温まる暇もないくらい国の内外を飛び回る日々だが、やはりほっとするのは、田園風景の美しい地元・東広島市に戻ったとき。「子ども時代は会社の中を駆け回って、工場が遊び場でした」と懐かしそうに語る。特に祖母の思い出は今でも鮮明だ。「初代経営者の妻として、金策面でも大変な苦労と努力をした人で、しっかり祖父を支えていました。礼儀作法に厳しくて、孫娘といえども横着をするとお手伝いさんたちと分け隔てなく叱られました。一人っ子でしたから、いつか家業を継ぐ日が来るかもしれない。そんなことも考えて、しつけてくれていたのでしょう」

 利子さんは賀茂高女から東京へ出て学習院女子高等科へ。その後米国の南カルフォルニア大学に留学し、商業デザインを学んだ。当時は、外貨の国外持ち出しを政府が厳しく制限していたから、留学生活は厳しく、スカラシップ(奨学金)を取り、ベビーシッターやメイドなど、さまざまなアルバイトに就きながら生活費を稼いだ。働く喜びと厳しさを経験すると同時に、「自由平等を原則とする人間の生き方」を学んだ。
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消費者向けの商品も次々と開発

クリスタルビル
 平成6年に創業百周年を記念して建てた新本社ビル(クリスタルビル)は、利子さんが設計段階からデザインにかかわり、絵や家具調度品の一つひとつに思いを込めた建物だ。最初のお客さまとして、常陸宮ご夫妻をお迎えしている。完成の翌年、このビルは「日経ニューオフィス賞」を受賞した。

 サタケは長年、主に米穀業界向けの大型機械を製造・販売してきたが、最近ではお湯を注いでしばらく置くだけでおいしいご飯となるマジックライスや胚芽米でも歩づき米でも一合一分の割合で精米が出来上がるマジックミル(家庭用キッチン精米機)など、消費者向けの商品にも力を入れている。いずれも台所を預かる女性の視点が取り入れられ、しかも「米」を知り尽くしたサタケならではの商品だ。次の百年に向け、新しいページがすでに始まっている。

 「東広島市は自分が生まれ育った土地であり、サタケの発展を温かく応援し続けてくれている町。この何ものにも代え難い故郷の発展に、住民として、また企業として一層の努力をさせていただきたいと考えています」

初期の動力精米機 明治40年の工場(営業案内)

佐竹利子さんPROFILE
 広島県東広島市出身。昭和32年2月米国・南カルフォルニア大学商業デザイン科卒業。34年1月佐竹製作所(現サタケ)入社、同社取締役。平成9年7月同社代表。13年4月財団法人広島大学後援会理事長、4月広島大学名誉博士、6月(社)発明協会理事。平成14年5月米国・ルイジアナ州立大学特別評議員、11月中国新聞社の中国文化賞受賞

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