岡田 茂 東映 相談役

義理人情に厚い親分肌。茶目っ気もたっぷり
根っからの映画屋。映画を確固たる近代産業として確立!

 映画界のドンと異名を取り、時代劇、任侠(にんきょう)など数々のヒットを生み出し日本映画の全盛時代を築き上げた東映前会長で現相談役を務める岡田茂さん(80)。西条町から大きく羽ばたいた一人である。その岡田さんと50年来の親交があり、「岡田門下生」と自負する賀茂鶴酒造会長の石井泰行さん(70)に、「人間・岡田茂」の魅力について語っていただいた。(聞き手・日川)

撮影:東京広島県人会
 岡田茂さんとは、僕が学生時代からのお付き合いになります。僕の親父が広島一中出身で、岡田さんは親父の後輩。岡田さんが就職された東横映画(東映の前身)社長の黒川渉三さん(故人)も一中出身。岡田さんは、一中出身者を「先輩、先輩」と立てておられ、僕は広大附属だったけど、一中出身の倅ならということで、かわいがってもらうようになりました。

 岡田さんのことを一言で言うなら、親分肌で豪快そのもの。豪放磊落(ごうほうらいらく)さは、東横映画に入社後、京都の撮影所に勤務、人間的にも魅力ある名優との付き合いなどから、培われていったのでしょうね。岡田さんは東大出身ですが、周囲からは、その恰幅(かっぷく)のよさから、「あなたは拓大出身じゃないの」とからかわれていましたよ(笑)。

 一方で、義理人情に厚く気配りに長けた人。いかに義を大切にする人か。僕が印象に残っていることに触れましょう。岡田さんは、大企業の日清紡をけって東横映画に入社されました。映画が好きだったのと、『鶏口となるも、牛後となるなかれ』。そんな思いもあったのでしょうが、幼なじみで、岡田さんと広島一中時代から進学も就職も同時だった大親友の今田智憲さん(現東映アニメーション相談役)から、「一緒に東横に」と誘われたのが最大の決め手になったようです。

 とにかく今田さんと岡田さんとは常に二人三脚。岡田さんが役員になる際には、「今田とは一心同体。今田が役員になれないのなら、僕も役員を辞退する」とたんかを切るくらいの仲でした。その今田さんが会社のいざこざに巻き込まれて、一度東映を離れたことがありましてね。岡田さんは、投げやりな気持ちでもんもんとした日々を過ごされていた今田さんに声をかけて東映に呼び戻し、東映の関連会社だった東映動画の社長に据えられた。「友だちを見捨てるわけにはいかん」「水に落ちた犬はたたいてはいけない」と。それに恩義を感じた今田さんは、東映の株を買って岡田さんを支えられました。

 僕なんかも、うちのケーブルテレビで電波問題が生じたとき、岡田さんにテレビ東京に掛け合っていただき、事なきを得ました。目下の人、いや誰に対しても気配りを忘れない。誰に対しても態度を変えない。なかなかできることではありませんよ。

岡田茂さん(左)と石井泰行さん
 こんなこともありましたね。元総理の小渕恵三さん(故人)の後援会をつくったのも岡田さんで、早稲田出身の小渕さんが総理になる前です。「おい石井。小渕に後援会がないのはかわいそうだ」と僕や伊藤園会長の本庄正則君ら早稲田出身者に呼びかけて作られた。岡田さんにしてみれば、学閥なんて関係ない。包容力があるというか、相手が誰であろうと付き合うスタンスは一緒なんです。

 だから、岡田さんの周りには、黙っていても人が集まりましたね。日本商工会議所会頭の永野重雄さん(故人)、日本精工社長の今里広記さん(故人)…。それこそ右から左まで(笑)。みんな、任侠映画で興隆を誇ったことにちなんで、『岡田一家』と呼ばれていました。よく、周囲からは「岡田というやつは、なんであんなに顔が広いんだ」と不思議がられていました。でも、僕には思い当たる節がありました。確か岡田さんが東映社長に就任(昭和46年)された直後だったかな。岡田さんから「石井。僕も社長になっていろいろな人を知る必要がある」と言われ、岡田さんに僕の人脈を紹介したことがある。そしたら1年後には、僕が紹介した人としっかり人間関係を築かれていて、さすが親分、この人はすごいと、感服したものです。きっと、持って生まれたこの人の性(さが)ですよ(笑)。

 もう一つ、岡田さんを語る上で、忘れてはならないのは、茶目っ気もあるということです。いつだったか、女優の黒木瞳さんをホステス役で起用する話になったとき、実際に銀座の高級クラブに僕らを集めて黒木さんの「お客になれ」と。聞けば、「黒木さんのけい古相手と、ボディーガードを兼ねろ。格好のよくないお前らなら、黒木さんも緊張しないでけい古ができる」ですからね。歯に衣着せぬ物言いと、独特のユーモアセンス。罪のない人ですよ。

 こうした岡田さんの親分肌で義理人情に厚く、それでいて茶目っ気もある性格が、経営者として成功された要因ではないでしょうか。東映初代社長の大川博さん(故人)が、決められた予算で映画をつくることを打ち出して、それを実行し、軌道に乗せたのは岡田さん。映画を確固たる近代産業として確立されました。社長就任後には、合理化も進められましたが、経営者に人間的な魅力があれば人はついてくる。人がついてくれば、企業は成り立つ。僕自身、岡田さんから学んだことです。

 ただ、岡田さんの本意は経営者というよりは、根っからの映画屋である、ということでしょうか。「僕は映画が好きで好きでたまらないんだ」。岡田さんからよく聞かされていた言葉です。とにかく、映画へのこだわり、映画にかける情熱はすごいものがありました。例えば、東映任侠路線の幕開けとなった「人生劇場

 飛車角」では、そのタイトルをめぐって、人生劇場の作者である尾崎士郎さん(故人)と丁々発止(ちょうちょうはっし)で、双方一歩も譲らない。「飛車角を入れたらやくざ映画だ」と尾崎さんが主張されても、岡田さんは首を縦に振らない。だから、僕の親父が尾崎さんと早稲田の朋友だったことが縁で、僕が尾崎家に説得に伺ったこともあります。このようにタイトル一つを取っても、岡田さんは決して妥協しなかった。

 その岡田さんも80歳。健康に気をつけられ、これまでと変わらないままで、いつまでも活躍してください。もっとも変わりようもないでしょうけど(笑)。とにかく岡田さんは頼りになる東広島の宝。岡田さんのような人は、ほかにいませんよ。僕は「映画人・岡田茂」を輩出した東広島だからこそ、ロケなり、イベントなり映画に絡めた街づくりを仕掛けてはどうかな、と思います。いつまでも故郷を愛する岡田さんの願いでもあると思うのですが…。
岡田 茂(おかだ しげる)さんプロフィル

 大正13年3月2日、賀茂郡西条町(現東広島市西条町)生まれ。広島一中(現国泰寺高)、広島高等学校、東京帝国大(現東京大)卒業後、昭和22年東映の前身である東横映画に入社。25年、「きけ、わだつみの声」を初プロデュース、大ヒットさせる。26年、東京映画配給、太泉映画との3社合併で東映となった後、京都撮影所製作課長に抜てき。その後、同所長、常務取締役映画本部長などを経て、46年大川博氏の後を継ぎ、東映2代目社長に就任。仁侠映画や実録映画などを手がけ、日本映画界に多大な功績を残した。平成5年会長に就任し、15年まで務める。現在は同社相談役、東急レクリエーション相談役、映画産業団体連合会会長。家族は妻と一男二女。長男の裕介氏は現東映社長。

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