安本養伯 伯和グループ 代表取締役

「産の一員として、地元に貢献したい」

 6月12日号で告知した「謎の人物、安本養伯氏」。年商720億円の伯和グループの創始者としてはあまりにも有名だが、氏の本当の姿を知るものは少ない。これまで謎に包まれてきた氏の素顔に迫った。

謎の人物。実は…

 氏と約30年つき合いのある友人たちは、話をするときの仕草や性格は今も昔もまったく変わらないと口をそろえる。自らを自由人≠ニ言う。「私に気を使わなくていいよ」と実に気さくな一面を持っている。
 周囲から見れば誰しもが認める成功者でありながらも、私がこれまで取材した人の中で一番の照れ屋である。そして、決して威張らない人だ。

東広島市への思い

 3年前、東広島商工会議所の岡田章会頭から「議員になってもらえないか」と誘われた。昭和51年に宇品から東広島へ移って約30年。「東広島に来て初めての誘い。あのときは本当にうれしかった」と話すのはおそらく本音だろう。伯和グループのトップと聞けば、先入観で誰もが尊敬と畏怖の念を持ち、容易に声を掛けることはできないと考えてしまうのが一般的。
 6月12日号で「謎の人物…」とあるように周囲が遠慮していたのか、実は、こういった誘いは東広島市に来て初めてのことだったという。このとき、安本氏は「微力ながら」と快く返事をした。
 これをきっかけに東広島市の力になりたい―。氏は過去、広島市と姉妹都市の韓国・大邱市での地下鉄放火事件(今年2月)の犠牲者を追悼するチャリティーコンサート開催(今年3月・広島)や平和記念公園の対岸にあった韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移設(平成11年7月)などの活動に携わった。
 こうした活動の中心人物である氏が東広島市の一翼を担っているのは心強いと感じるのは私だけだろうか。「呉は産学官が一枚岩。特に商議所と行政の連携には恐れ入る。私も東広島市の産の一員として、みんなと知恵を結集して地元に貢献したい」。話す表情は決して建前には見えなかった。

理 想

 理想の経営者像について氏は、「スタッフから人望を集めるような人」と断言。かっこよくスマートで年をとってもお洒落であり続ける人とも付け加えた。また、自身の今後については「どんなに出世しようが、どんなに大きな家に住もうが、目を閉じればみんな同じ。家族が一つ屋根の下にいることが一番の幸せ」と語った。
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【プロフィル】
 安本養伯
(やすもとようはく) ■1944年1月1日生まれ■広島市南区出身 ■伯和グループ 代表取締役社長 ■東広島商工会議所3号議員 ■広島県遊技業協同組合副理事長 ■広島県遊技業防犯協力会連合会副会長 ■エリザベト音楽大学評議員ほか

交友関係
  なぜ、イ・ビョンホン氏と面識があるのか

 取材中、友人の話をするときは実に嬉しそうな安本氏。本音でぶつかってくる人には弱いらしい。「ビョンホンはいいヤツすぎて、たまらなく抱きしめたくなる。最近は日本の番組の絡みで来日することが多く、よく連絡をくれるのですよ」。交友は仕事柄、必然的に。安本氏は他人に対して飾らない。俗に言う「子どもの心を持った大人」。自身の夢や思いを素直に語る。

奉仕活動
  韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和公園内 に移設(プレスネット創刊号より一部抜粋)

 韓国人原爆犠牲者慰霊碑は1970年、在日韓国人有志の呼びかけで本川橋西詰めに建立された。平和公園の対岸にあるため「民族差別の象徴」とされてきた。1998年、広島市が公園内に移すことを決めたのを受け、韓日の有志らが移設委員会をつくった。そして安本氏が委員長を引き受けた。
 原爆投下によって被爆死した在日韓国・朝鮮人は約2万人と言われている。「私自身も被爆者。自らの意思に反して海峡をわたり移り住んだ地が広島だったということで、あの惨禍に遭った。なぜ碑があるのか。移設を機に民族、国境を越えてみなさんに考えてほしかった」。
 次の目標は「南北統一碑」の実現。移設が長い間実現しなかった背景には、朝鮮半島の南北分断から碑文などをめぐって難航してきた経緯がある。「戦前、祖国は一つだった。原爆の犠牲者がなぜ一つになれないのか。統一碑の実現が朝鮮半島統一の一歩となれば」と願っている。
 「私たち同胞が味わった苦難の歴史を決して繰り返してはならない。21世紀は戦争の世紀であってはならない。そして在日三世、四世らが『在日』と胸を張って言える社会にしていきたい」。
 昭和45年頃から安本氏と交流している宗藤勝彦さんは当時を振り返り、「広島だけの話ではなく、韓国・北朝鮮・日本という国境を越えた大きな仕事。社会的にも認められるべきことだと思う」と話している。

──伯和グループ企業データ──

【事業内容】
遊技場・ホテル・飲食業、不動産業、保険代理業、下水処理場維持管理業、土木・管工事業、ビル管理業、生花店、バッティングセンター、医療ほか

【沿 革】
 創業(現(株)伯和総業)
 東広島市に「ビクトリーホール」を開店
 ビクトリー観光を設立
 東広島市に「民芸茶屋ちろりん村(現・ちろりんTOWN)」を開店
 広島市に伯和グループ広島事務所、伯和興産を設立
 三次グランドホテルを開設
 東広島市八本松に本社を移転
 東広島市に「パーラー大学」下見店を開店
 呉市に「パーラー大学」広店を開店
 東広島市に(株)伯和総業の新社屋完成、「ビクトリーホール」を新装開店、「めん徳」を開店
 米子市に「ラ・ビクトリー」を開店
 東広島市に「味和伊工房フィオーレ」「アトリエフルール」「パーラー イースター」、「鍋亭」、「パーラーアンコール」を開店
 広島市に「パーラービクトリー流川店」を開店
 三次市に「パーラーアンコール三次店」を開店
 東広島市に熱闘スタジアム「三冠王」を開店
 広島市に「タワービクトリー」を開店

【社 員 数】
計1,000人/男性600人(平均年齢30.9歳)、女性400人(平均年齢30.5歳)

【事 業 所】
[本社]東広島市
[営業所]東広島、広島、呉、三原、三次、庄原、益田、米子

【グループ・関連会社】
(株)伯和、(有)ビクトリー観光、(有)ラッキー観光、(有)伯和ビクトリー、(株)伯和商事、(株)伯和興産、(株)伯和総業

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