2006/9/9

浪速のJoe 辰吉丈一郎ロングインタビュー 

もう一度、世界王者になる なりたい≠竄ネい、なる≠

 90年代大阪を象徴する浪速のJOE(ジョー)≠アとプロボクサー、辰吉丈一郎(36)。驚いた事に彼は今もまぎれもなく現役ボクサーだった。インタビューに対し、はっきり「もう1回、WBC世界バンタム級チャンピオンになる。なりたい≠竄ネい。なる≠竅vと言い切った。普通の人間が言えば荒唐無けいな一言も、絶体絶命の中で数々の修羅場を乗り越え、過去3度も世界王者になった不屈の男が口にすると重い。この男はずっと『辰吉丈一郎』を押し通し、生き続けている。そして9月26日には、連勝中のリングを遠ざかって丸3年を迎える。(インタビュー・畑山博史)

 −顔色もいいし、体も締まってる。57キロくらいかな? キッチリ練習してるみたいやね。

 日曜は休むけどね。週6回は大阪帝拳で練習してる。午後1時か2時に行って、2時間半くらいやる。守口の自宅から自転車で10キロの道のりを30分かけて走って行く、帰りも一緒や。練習内容は、独りでサンドバック叩いたりシャドーボクシングしたり。周りの連中は「世界チャンピオンやったからまだやらせてもろとんねんな。エェ加減にせえよ」と思とるやろ。

 −ウィラポンに敗れた後の3年4カ月は長かったが、今度の3年もそれに匹敵する。

 ホンマ言うとぼくも早う引退したいんや。もう1回チャンピオンになったら辞めるよ。今のぼくには他に何も関心はない。3階級制覇とかにはまったく興味はない。WBC世界バンタム級チャンピオンだけ。今も果たせていない亡き父との「2人でチャンピオンになる」という約束がある。それがあるから毎日練習できるし、この状況にも耐えられる。自転車に乗って練習に向かうといつも初心に帰れるんや。

 −今はチャンピオンになることが目標なんやね。

 チャンピオンに「なりたい」のとちゃうよ、「なる」や。なってからぼくはやっとスタートできる。「学校に入学したんだから必ず卒業しよう」というのとよく似てる。JBC(日本ボクシングコミッション)の規定で、ぼくのように網膜はく離の既往症のあるボクサーは世界戦かそれに準じる試合しかできない。だからタイトルマッチをやるしかない。調整のための試合は、でけへんのですよ。

 −いきなりの世界戦はキツイと思うけど、辰吉さんは自信にみなぎっているように見える。

 最初に言っときますけど、ぼくはバクチは嫌いです。だから自信がなければ言わへん。何でも決着を付けなければ気が済まないタチやし、物事には常に勝ちと負けしかないと思うてる。

 −網膜はく離のその後は?

 日常生活には支障はない。でもボクシングやれば当然、ほかの選手と同じくリスクはある。そんなことは十分分かってる。ほかのスポーツもそうやけど、ギリギリの死闘を繰り返せば、誰でも当然ガタはくる。だけどそれを言い訳にせず、隠して見せないのがプロでしょ。

 −その網膜はく離で引退の危機に追い込まれながら、海外で活路を見出して今日まで…。

 元ボクサーの先輩から「俺も眼をやられて引退したんや。お前はいつまでやってんねん」と言われたことがある。でも、こっちが聞きたい。「ぼくは海外行って、ルールも変えさせてボクシングを続けた。だれもがアカンと言ったことを変えさせてまで、ここまで来た。アンタはそこまでやったんか?」って。結果は結果。今置かれた状況を受け入れた上で、ベストは尽くしきったんか。でないと、言い訳になるだけや。

 −多くの格闘家を見てきて、年齢とともにダメージの蓄積や体力の減退に苦しむ姿を嫌というほど知った。残酷な物で、いくら不死身の辰吉でもそれは自分でも感じてるはず。

 ボクシングを始めてもう20年になるけど、今が一番練習しているしスタミナもあると思うよ。確かに年とともに条件反射やスピードは鈍る。でもそれは当然のことで、受け入れることが大事。受け入れた上で自分に何が出来るかを考えると、経験だったり技巧派に変わることで補えるんです。何度も言うけどぼくはバクチはしませんし嫌い。だから勝つ自信がなければとっくに辞めてる。


白千館(はくせんかん)
  辰吉丈一郎さんの義母が大阪府守口市で経営する喫茶店。 同店の珈琲は味にうるさい辰吉さんも推薦している。 手ごろな料金も昔ながら。

 −7月に8戦目でWBA世界スーパーフライ級王者になった名城信男選手(24)は「辰吉と同じ日本最速で世界王者」と話題になった。その反面で、彼は対戦相手が試合後に亡くなり、その葛藤を乗り越えたことでも有名になった。

グレート金山という元日本バンタム級チャンピオンを知ってますか? 彼は本名を李東春と言って韓国バンタム級チャンピオンにもなり、世界ジュニアバンタム級のタイトルマッチもやったことがある選手やった。90年代前半に活動の拠点を日本に移した。自分はちょうど世界戦を数多く戦っている時期だったし、彼にはスパーリングパートナーとして何度も世話になったし、大先輩であり親友でもあった。しかし、95年の日本タイトル戦後に亡くなった。ボクシングは本当に命のやり取りをしてる。

 −最近のボクシングで言えば、先般の亀田興毅選手のタイトルマッチを見たけど、結果をめぐってマスコミは言いたい放題だった。期待が大きかった分、いい勝ち方せんと怖いんやな〜って私は正直思いましたけどね。

 ぼくはすごいことやと思う。だって世界戦でしょ。判定がどうのこうのとか、勝った負けたとか以前に、頂点を決める戦いに出てるだけでもすごいことやて。しかもチャンピオンになったんやから、19歳で。ぼくが19歳のとき何やってたんって聞かれたら、まだプロデビューしたばっかりや。亀田君はここにも来て話もしたこともある。すごく礼儀正しいし、彼が日々受け続ける重圧はすごいと思う。日本で彼を知らん人間はおらんし、頑張って世界を取ったやんか。それを大人が非難してどないすんの?
 無責任に文句いう奴には「なら、自分らやってみぃ」と言いたいワ。
 言葉は怖いよ。ラーメン屋で例えるなら、「まずい」と非難するのは簡単やけど、店主は自信を持ってお客さんに出してる。その人は「まずい」と思ったかもしれんけど、そのラーメンを好きな人もおんねん。嫌やったら2度と来なんだらエェだけやん。言葉は人を殺す事もできるくらい怖いとぼくは思う。

 −そう言えば辰吉さん自身、テレビのバラエティーなどには一切出ないようだが。

 別に反発している訳やないよ。素(す)のぼくはとてもテレビに出られるような人間やない。『元世界チャンピオン』やから?今出ていってどうすんの。元チャンピオンで何をしゃべるの。それは格好悪いし、ぼくは嫌や。過去は過去で今は今やから。


辰吉丈一郎ってどんな人?


▲1997年11月22日大阪城ホールで、辰吉丈一郎は、無敗のWBC世界バンタム級チャンピオンのシリモンコン(タイ)とタイトルマッチを戦った。20歳の王者に対し、世界戦3連敗で後のない辰吉。周囲の「絶対不利」説を一蹴して、辰吉は7回TKO勝ちで3年半ぶりに頂点に返り咲いた。この試合で97年の最優秀選手にも選ばれた。
(写真は辰吉丈一郎さん提供)

 インタビューに引き続き、辰吉丈一郎のこれまでの戦績やプロフィルについて紹介する。

 1970年5月15日生まれ。岡山県倉敷市出身。父子家庭に育ち、ボクシング好きだった父の粂二さん(2000年1月に享年52歳で死去)に幼少のころからボクシング(粂二さんとしてはケンカの仕方を教えていた)を仕込まれる。味野中卒業とともに片道キップを持って大阪に。アルバイトをしながら大阪帝拳ジムで腕を磨いた。

 17歳で全日本社会人選手権バンタム級優勝。アマの戦歴は18勝(18KO・RSC)1敗。19歳でプロデビュー以降は、第50代日本バンタム級、第18代WBC世界バンタム級、WBC暫定世界バンタム級、第24代WBC世界バンタム級の各王者に輝く。

 現在までの戦歴は19勝(13KO・TKO)6敗1分。世界戦だけに限れば5勝6敗と負け越しているが、網膜はく離で引退の危機にさらされながら、3度の世界王者が示すように「けっしてあきらめない」戦いぶりが多くのファンの共感を呼んでいる。どんな苦難にも負けることなく、明日の勝利を信じて実行する姿に多くの人から尊敬され、影響を与えている。

 身長は164cmで、右利き。ボクサーファイターでオーソドックスなボクシングスタイル。

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