2007/9/8
ディープサウス探訪 「飛田新地」

▲新地内の通りの1つ。両側にずらりと写真の奥まで、2間ほどの狭い間口の店が並ぶ
観光地としてスポットライトが当たる新世界の南側にあり、東を阿倍野再開発地区、西に「あいりん地区」に接する位置にあるのが「飛田」。大正時代に築かれた日本最大級の遊郭があった「飛田新地」として知られるが、その当時に建設された遊郭をそのまま使った料理店「鯛よし百番」が今も残り、大正ロマンを満喫させてくれる。また料亭街も伝統的な雰囲気を色濃く残している。
色濃く残る大正の雰囲気
「ミナミの大火」(1912年1月)で難波新地の遊郭が全焼した。126軒あった「貸座敷」は他の遊郭に移ったり、廃業したが、政治家を巻き込んで土地ブローカーが暗躍し、代替地を求める声が上がった。そして16年に突如として「府告示第107号」で新遊郭地に指定されたのが、当時は雑草の生い茂る市街地から外れた「飛田」だった。
キリスト教関係者らで反対同盟会が結成されるなど、強い反対運動があったものの18年末には一部の貸座敷が営業を開始した。すでに100軒あまりの店が並んでいたという。
最盛期の昭和初期には妓楼が200軒を超えたが、戦災で多くの店が焼失してしまった。戦後は赤線として復活し、58年の売春防止法の施行の際には、店を料亭に看板替えして生き残った。
ちなみに51年4月、西成区役所発行の「西成区政誌」には、「飛田新地組合」や「飛田新地睦会」の広告とともに業者の名簿も掲載されており、それには154人が名前を連ねている。また飛田駅、飛田本通駅、大門通駅といった鉄道駅がかつてあったという事実からも、飛田新地のにぎわい振りがしのばれる。
現在は碁盤目の街路に沿って150軒ほどの料亭が軒を連ねる。統一された屋号を書いた、突き出た看板が気のせいか艶めかしく見えてしまう。歩けば呼び込みの声がかかる。午前中から営業している店もいくつかあるからすごい。
ここは店先での顔見せと「やり手バアさん」との交渉という伝統的なスタイルを採用している。事情通によると、交渉は店に入ってやるのが決まりで、15、20、25、30、45、50分と時間はおよそ5分刻みになっており、1万円台から3万円台までだとか。成立すれば2階の6畳間に通されるというシステムとなっている。
遊郭までを結んだ動物園前一番街(飛田本通商店街)

明治末期から大正初期にかけ、通天閣の開業を機に新世界は芝居小屋や映画館、飲食店が集まり、続いて天王寺動物園、飛田遊郭もオープン。一大歓楽街の誕生となった。ジャンジャン横丁の名前は飛田遊郭への通り道として、景気づけに鳴らした三味線の音から来ている。そのジャンジャン横丁から飛田遊郭までを結ぶのが、最近はイメージチェンジを図って名付けた通称名の「動物園前一番街」で売る「飛田本通商店街」である。
地下鉄「動物園前駅」を降りると、目の前にひときわ目を引くゾウやゴリラ、キリンの姿を描いた大型看板が迎えてくれる。周辺の労働者の街「あいりん地区」や花街の「飛田」とともに歩んできた商店街の入り口だ。
高度経済成長期にあいりん地区には全国から労働者が集まり、商店街は仕事を終え、1日の疲れを癒やす労働者でにぎわった。新世界で休日を過ごした人たちが買物客として訪れた。当時は普通の住宅も多く、住民の台所を支える商店街としての需要も賄った。
「最盛期には市場などもあり、夜通しで店を開けたこともある」と商店街関係者が良き時代を振り返るが、同商店街はその後、「釜ケ崎暴動」(大暴動は3回)を経験。これが家族連れの足を遠ざけるようになったため、商店主らは環境浄化に取り組み、イメージ改革を目標に据えた。
このところ商店街が積極的に展開しているのが「一国一商店街運動」で、交流先は動物園のイメージから南アフリカ共和国である。同国の文化を紹介したり、同国産のワインを並べ、ダチョウの肉と卵の試食会を開くなどしてきた。また同国出身のアーティストが商店街を練り歩くイベントもあった。交流はすっかり定着したが、同商店街は「イベントを通じて多くのことを学びもした。もちろん今後も継続していく」と前向きだ。
料亭「鯛よし百番」 当時の雰囲気(遊郭) そのままに―

▲大正時代初期に遊郭として建造された当時のままを残す「鯛よし百番」
大正ロマンの世界だ。遊郭として建築された当時のまま、割烹・料亭「鯛よし百番」として使われている。
まずは入り口でどっきりさせられるのが「顔見せの間」。ずらりと女性が並ぶ華麗な映画のシーンが頭の中によみがえった。
緋毛せんを敷いた廊下を進むと、陽明門が現れる。そう、日光東照宮の。ちゃんと甚五郎作の「眠り猫」まで再現されている。襖(ふすま)絵や欄間彫刻、板戸絵、格天井など、至るところに豪華絢爛(けんらん)な飾り付けが施され、どの部屋も粋を演出している。
飛田関係年表
1909年 市電恵美須町−天王寺西門前が開通。天王寺公園開園
1911年 阪堺電車、恵美須町−堺が開通
1912年 通天閣開業
1915年 天王寺動物園開業
1916年 飛田を新遊郭地に指定した「府告示第107号」を布告
1918年 飛田遊郭開業。「鯛よし百番」完成
1958年 売春防止法施行。飛田新地転廃業
1961年 釜ケ崎第1次大暴動が発生
1967年 第3次暴動
2000年 「鯛よし百番」が登録文化財に
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