週刊大阪日日新聞

大阪市(北・都島・城東・旭・鶴見区)・守口市・門真市
(社)日本ABC協会加盟紙 251,012部

2018/9/15

街の繁栄を支えた大阪市電 

都島守口線


▲守口行きの市電に乗るため列を作る市民ら=1968年11月(大阪市提供)

 昭和の初めから高度経済成長期に市民の足≠ニして親しまれた路面電車「大阪市営電気鉄道(市電)都島守口線」。都島本通(同市都島区)―守口(守口市)間(約4・7キロ)の13駅を結び、乗客であふれ返っていた同線は1969(昭和44)年の全線廃止から半世紀が過ぎようとしている。路線は異なるが、都島守口線の沿線だった都島区北部と同市旭区には来春、JR「おおさか東線」が走る。地域に繁栄をもたらした市電は、半世紀の時を経て新たな鉄路へとバトンをつなぐ。

「大大阪時代」象徴

 都島守口線は31(同6)年に開業。「大大阪時代」の象徴ともいえる市電は、市内を無尽に巡る路線網を構築し、市民にとって必要不可欠な存在だった。同線も大阪大空襲など太平洋戦争の影響で一時休止したが、いち早く運転を再開し、紡績工場のベッドタウンや地元商店街の繁栄など地域発展に貢献した。

 ただ、路面を走るピンクと赤色のツートンの電車は時代とともにニーズ≠失うように。市高速電気軌道(大阪メトロ)広報課によると、市電の廃止につながったのは、自家用車の普及で渋滞が常態化したために乗客が急減し、地下鉄の整備が進められるようになったことが挙げられる。存続を望む声も多かったが、市電最後の一路線として思い出≠ノ変わった。

 廃線後、都島区や旭区では、鉄道の代替交通として市バスが充実するように。一方で、地下鉄が充実した大阪市の他の地域と異なり、「空白地帯」の状況が半世紀にわたって続いてきた。

シャッター通り

 同エリアでは廃線以降、買い物のために家族で自家用車に乗って守口市のショッピングモールへ車で出掛けるのが日常の光景だ。商店街では、地元での消費が減ってシャッターを下ろしたままの店舗が目立つ。


▲かつては一大繁華街だった蕪村通り商店街。今は人通りも少なく、シャッターが閉まったままの店が多い=大阪市都島区

 おおさか東線「城北公園通駅」予定地の南西にある蕪村通り商店街(都島区)は市電が走っていたころ、商店が100を超え、三つの映画館や芝居小屋が並ぶ一大繁華街だった。買い物に訪れる紡績工場の従業員やその家族らが往来。市電が終わる午後11時まで人通りが途切れなかったという。

 現在、店舗数は最盛期の2割程度まで減った。当時の様子について、生まれも育ちも商店街という女性(79)は「市電に乗って買い物に来る人も多く、すれ違うのも大変なぐらいだった。心斎橋みたいににぎやかだった」と懐かしむ。子どもの見守り活動に従事する男性(65)も「子どもがたくさんいて、商店街に活気があった。ミシンを扱う店が軒を連ね、中には財を成した人もいる」と振り返る。

再生の起爆剤

 都島守口線が走っていた都島区北部と旭区エリアには、来年3月のおおさか東線新大阪―放出間の開通に合わせて新駅「城北公園通駅」が開業する。おおさか東線は大阪東部を南北に結び、新大阪や奈良方面へのアクセスが大幅に改善。鴫野で学研都市線に乗り換えれば都心部への移動もスムーズだ。

 同商店街の金子清治会長(70)は、市電の開通と廃止で街が栄枯盛衰した過去を振り返り「鉄道と駅の影響は大きい」と実感。実際、新駅の開業を見越して周辺にマンションの建設が進むなど街は変化しつつある。

 金子会長は、待ち望んだ駅の開業に商店街再生の望みをかける。「バス停の間隔より駅間の間隔のほうが長く、歩く距離も必然的に長くなる。新駅ができると、商店街にも駅へ向かって歩く人が増え、新たな可能性が生まれるのではないか」


pagetop