週刊大阪日日新聞

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2019/10/26

町を訪ねて がもよん


▲来年2月にはリニューアルされたアーケードも完成し、こんな風景になる

 先の大戦で戦災を逃れたため、古い長屋が残り、下町情緒を感じさせる城東区蒲生4丁目界隈。その風情を生かした長屋再生≠中心に、今も進行中の「がもよんにぎわいプロジェクト」で町は人気エリアに成長中だが、にぎわいは周辺にも広がり、城東商店街など、蒲生4丁目の交差点を中心にした「がもよん」の活性化に及んでいる。

来年2月にアーケードをリニューアル

城東商店街

 蒲生4丁目の交差点から東にすぐの場所に、長年、住民に親しまれてきた城東商店街がある。200mほどの、区内では最も古い(1948年開設)、ちょっぴり 昭和レトロ≠感じさせる気安い商店街で、歩けないほどの人出で賑わう夏の「土曜市」と、商店街の中央が駐輪場と化している妙な光景≠窿Aーケードがある商店街(区内では他に関目商店街だけ)として近隣では知られている。ここで今、アーケードのリニューアルを含めた「活性化プロジェクト」が10月、本格的に動き出した。

 同商店街は、若者には珍しく、年寄りには懐かしさを覚える、昔ながらの肉屋や魚屋、八百屋などが並び、お好み焼きやたこ焼き、うどんといった大阪庶民の味をはじめ、立ち飲み屋もあり、39軒の店舗のうち、約6割を食料品関係店や飲食店が占める日頃の買い物≠ノ利用される生活空間である。しかし人出は北側に偏り、大通りの「鶴見通り」からは奥≠ノなる南側では人通りも少なく、空店舗が目立つ半シャッター商店街≠ニ化しつつある。

 城東区は大阪ではトップの人口密度で、現在も大型マンションが続々と建てられ、かつての工業地帯のイメージを一新しており、商店街周辺でもマンションの建設などで人口は増加している。また同商店街は地域と連携した「土曜夜市」や地元小学校との交流など、地域に根差した活動に積極的に取り組んできたため、昭和後期の大きな衰退からは、いくらか回復している。だが近隣で増加しているファミリー層を取り込めていないのが現状で、そこで国の中小企業経営支援策である「商店街活性化・観光消費創出事業」に申請し、7月に認められ、活性化プロジェクトをスタートさせていた。


▲塚田理事長(右)と吾郷さん(左)

 活性化の目玉≠ヘ1965年に設けられ、老朽化が著しいアーケードの改修だ。全体に「白く」、屋根を半透明にして自然光を取り込み、明るい雰囲気を出し「隠すアーケードから見せるアーケードへリニューアル」(同商店街振興組合)する。アーケードの柱には電源を設置し、イベントやフリーマーケットの実施にも備える。

 新しいアーケードは来年2月下旬の完成を予定しており、その完成に合わせ、3月7日には「がもよんセレクションフェスタ(仮称)」を開く。同フェスタは地元小学生アイドルやプロレスなどのステージイベントに加え、がもよん周辺の人気店などの多数の出店が予定されている。

 武味精肉店の吾郷純孝さんは「子どもが寄ってくれるようになって欲しい」と活性化に期待しており、塚田博美・同振興組合理事長は「アーケードもきれいになるので、家族でぜひショッピングに遊びに商店街に」と呼びかけている。


町と人を育てる「がもよん文化部」

農業体験やしめ縄づくり

 空き家だった古民家をおしゃれなイタリアンやカフェなどに再生し、グルメイベントを主催するなど、町の活性化を進めてきた「一般社団法人がもよんにぎわいプロジェクト」は、「がもよん文化部」として地域の「食育」にも力を注いでいる。

 昨年の台風で修復不可になった空き家を解体し、貸農園「がもよんファーム」を開設。同農園は小さな区画のため、農業初心者や有識者同士の交流が図りやすく、同法人が農業セミナーを開催するなど利用者と一体となり運営している。今後は同農園に隣接する集会場「寺子屋・久楽庵」で、収穫した作物を調理して食べる「子ども料理教室」を行い、農業の楽しさや食べものを大事にする心を育てていく。

 ほかにも正月の意味を学ぶしめ縄づくりや餅つき大会、お茶会、美文字講座、クラシックコンサート、英語で絵本読み聞かせなど、有識者や地域の高齢者が講師を務め、趣向を凝らした活動が毎月行われている。今後はガーナ人留学生と小学生が共同で行う綿づくりを計画中。世代や国境を超えて、地域ぐるみで魅力のある町と人を育てる活動は、今後も続いていく。


地元の世話人、生島俊宏さん

(城東地区保護司会副会長)

 「落語に出てくる長屋の付き合い、人情が残っている町」と開口一番、明快にがもよん≠表現した。「最近はマンションも建って、時に見知らぬひとも見かけるようになったが、ずっと表を通るひとはすべて顔見知りばかりだった」と濃い近所付き合い≠ナあることを説明する。

 古い民家が残る蒲生4丁目の住宅地の中にある、親の代からの「ふすま屋」さん。今年6月に「廃業届」を出し、昔からの付き合いで「どこにも頼むところがない」客に限ってだけ「注文を受ける」ことにしたが「いつやめられることやら」と苦笑する。

 地域の町会長を10年も務めた。退いた今も顧問として、何かと町の住民の世話に精力的に動いている。「防災訓練」や「ふれあい喫茶」など、多くの「ここを離れたがらない一人暮らしの高齢者」に向けたイベントも実施している。創建は定かではないが、昔から蒲生村民≠ゥら崇敬されてきた「若宮八幡大神宮」の総代も務めており、だんじりの復活や屋台店の運営にも取り組んできた。

 1946年の生まれ。がもよん≠ノは、父親が店を構えた小学5年生でやって来た。当時、蒲生から東には「田んぼばかりで、ほとんど家がなく、生駒まで見渡せた」。蒲生は住宅の中に小さな町工場が混在するような町だったという。

 「大学にも入ったが、日本経済の高度成長期で、親が寝ずに仕事をしているほどの忙しさとあって、高校生の時から手伝わないと仕方がない状態だった。体育祭や文化祭といったものには1回も出たことがない」と笑う。

 「最近は店を探してウロウロしている若い人の姿も見られるようになった」と町の変化を肌で感じている今日この頃だ。


第2弾は音楽がテーマ

マニアック長屋2

 2015年の開設以来、オーダーメードのアパレルを中心にがもよん≠フ町のロゴの制作や町のおすすめスポットを描いた「がもよんマップサンダル」を販売するなどクリエイターらが集う「マニアック長屋」。その第2弾が同長屋の隣接に開設される予定。その名も「マニアック長屋2」=写真=。今回は音楽をテーマに、ミュージシャンらが長屋で思いっきり楽器を演奏し創作活動に励めるよう防音設備を完備した施設になる予定だ。


名産蒲の穂と旅人でにぎわった町


▲昭和45年ごろの蒲生4丁目交差点

 旧大和川の北岸に当たり、低湿地で、蒲の穂がとれたことから「蒲生」の名が江戸時代に付いた。ここの蒲穂は丈が長く、色も美しかったため、天井材に使われ、江戸時代の「五畿内産物図会」にも、蒲生村の名産品として紹介されている。

 縦横に走る井路を小船で作物や肥料などを運ぶ、水郷風景に近い水田や畑が広がる蒲生村だった。

 一方、大阪と奈良を結ぶ「古堤街道」や野崎観音へ参る道筋に当たり、旅人で賑わった古い町並みが蒲生4丁目には残っている。


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