週刊大阪日日新聞

大阪市(北・都島・城東・旭・鶴見区)・守口市・門真市
(社)日本ABC協会加盟紙 251,012部

2019/6/1

東住吉事件 冤罪獄中20年(下)

ある女性の世にも数奇な物語

>>東住吉事件 冤罪獄中20年(上)

冤罪が残した心の傷跡

忙しさが心の支え

 青木惠子さんが最も熱心に取り組んでいるのは、冤罪の恐ろしさ、残酷さを訴える活動だ。同時に、同じように冤罪を訴える人たちの支援にも力を入れている。

 3月2日には仲間たちと「冤罪犠牲者の会」を立ち上げた。青木さんは共同代表のひとりだ。他にも、各地の刑務所で冤罪を訴えている受刑者の面会に訪れたり、支援団体から講演の依頼を受けたり、全国を飛び回っている。

 例えば3月の日程はこうだ。
●2日…東京(冤罪犠牲者の会結成総会)
●10日…岡山(亡くなった支援者の自宅を訪問)
●15日…金沢(冤罪を訴える人の国賠訴訟傍聴)
●19日〜21日…山形(冤罪を訴える受刑者や支援者と面会)
●23日…東京(冤罪を訴える袴田事件の全国集会)
●27日〜28日…熊本(冤罪を訴える松橋事件の再審判決)

 遠出だけでこれだけある。これに加えて大阪では自身が起こした裁判がある。冤罪の責任を認めさせるため、国を相手に損害賠償を求める「国家賠償訴訟(国賠訴訟)」だ。さらに89歳になった父親の高齢者住宅への引っ越し、おととし亡くなった母親の墓参りと、ほぼ毎日何らかの予定がある。なぜこれほど過密日程なのだろう?

 「自分がこんな目に遭ったから。同じ思いをする人をなくしたい」

 もちろん、それが大きい。だが、それだけではない。

 「わたし、生きてること が苦しいのよ。めぐちゃんのこと、責任を感じているから。ずっと消えることがないから。そこから目をそらすために忙しくしてるのかも…。ひまになったら危ないよ」

 忙しさが、青木さんの心の支えになっている。

人間不信と極端な潔癖症

 青木惠子さんと一緒に外出すると、不思議な光景を目にすることになる。除菌ペーパーである。食事の席で、講演会場で、裁判所で、青木さんは行く先々で、自分が座る椅子や机を丁寧に拭く。一種異様な光景だ。

 「(警察に)捕まってから、人を信用できなくなった精神状態っていうか、怖いのよ。誰が座ったかわからないから、拭かないとそこに座るのは無理。神経質が一段とすごくなっちゃった」

 そのことを象徴するような出来事があった。3月14日、大阪地裁で開かれた青木さんの国賠訴訟の弁論。原告席に座る青木さんはいつものように座席や机を除菌ペーパーで拭いた後、席について、目の前に除菌用アルコールジェルの小さなボトルを置いた。自分の手も常に清潔にしておかないと気が済まないからだ。

 と、隣の弁護士が「何これ?」と思ってボトルに手を触れた。とたんに青木さん、「なんで触るのよ! 汚れるじゃないの」

 すかさずボトルを除菌ペーパーで拭きだした。周りの弁護士たちは、青木さんが怒ったように見えても本気ではないと、よくわかっている。「またいつものクセが始まった」と笑いが広がった。 少し離れた傍聴席にいる支援者たちには事情がよくわからず、裁判が終わった後に「和やかに笑っていたのはなぜ?」と尋ねてきた。

 逮捕から20年間という長い年月、青木さんは自由を奪われていた。誰も信じられないという思い。それが極度の人間不信と潔癖症を招いたのだという。

見知らぬ人の目が怖い

 「娘殺しの母親」の汚名をそそいだ青木さん。だが「無罪」になっても世間の人がみな「無実」を信じてくれるわけではない。

 インターネット上には無実を疑う誹謗中傷がいまだにある。だから青木さんはネットを見ない。そして見知らぬ人の目が怖い。電車に乗っていても「誰かに見られているんじゃ?」と視線を感じるという。

 最近、知り合いとともに近所の居酒屋に入った。何度か利用したことのあるお店だ。これまでは何もなかった。ところがこの日は、店にほかのお客がいなくなったあと、店の人が話しかけてきた。

 「あの〜、青木惠子さんですよね。これまで遠慮していたんですけど、初めてお店に来られた時から気づいていました」

 それは好意的な意味で話しかけてきたようだった。だけど自分のことを知っている人がいろんなところにいると思うと、落ち着かない気分になる。もう1軒、繁華街にある焼き肉店でも同じように店の人に声をかけられた。

 「どこで誰に見られているかわからないから、ものすごく緊張するの。車を運転していても、交通違反は決してできないわ。事故なんてもってのほか。『あの青木惠子が』って言われるんだから」

鬼母≠フ真実

 青木惠子さんが逮捕された当初、週刊誌には連日センセーショナルな記事が躍った。「実の娘を焼殺した鬼母=v「強欲主婦の鬼畜=v「家事もせず、食事はほとんど外食ばかり」「カード生活で家計破綻」…こうした記事が青木さんについての世間の印象を大きく左右したことは間違いない。

 しかし、こうした記事から透けて見えるのは24年前の時代背景だ。「母親は手料理を子どもに食べさせて当然」という考えがあるから、「そうしない母親は子どもを大切にしていない」、そこから「子どもを殺すかもしれない」という思い込みにつながったのだろう。家事が苦手な女性に対する偏見と言ってもよい。記事は「家事をしない母親」→「外食などで浪費」→「カードローンがかさむ」→「娘の保険金を狙った殺人」という構図が共通している。

 やり直しの裁判で、青木さんの無実は完全に証明された。放火は不可能、自白はすべて無理矢理、火事は自然発火とみられる。真っ白な無罪と言ってよい。それでも、一度染みついた印象はなかなか覆らない。

 では、青木さんと娘のめぐみさんの関係は、実際はどうだったのだろうか?以下は青木さんの話だ。

◇ ◇ ◇

 高校生のころまではそんなに子ども好きという訳でもなかったの。でも卒業して就職して、子供服売り場で働くようになったら、子どもが大勢来るじゃない。それを見ているうちに「子どもってかわいいなあ」と思うようになって、どうしても子どもが欲しくなったの。欲しくて欲しくてできた子だから、大切に決まってるでしょ。

 私は料理が苦手。実家で習うこともなかったし。夫は料理が上手で全部してくれたから、私は甘やかされて料理ができないまま。だから料理を作ることは少なかったけど、それでも遠足なんかでは必ずお弁当を作って持たせていたのよ。

 でも夫が働かなくなって生活が苦しくなった。小銭を集めてやっと「かっぱえびせん」を一袋買ってめぐちゃんに食べさせたこともある。めぐちゃんが「ママは食べないの?」と言ってくれて、私は「ママはいいから」と言って全部食べさせたわ。

 そのうち夫が蒸発して、私は家計のため、夜、スナックで働くようになった。めぐちゃんの小学校の先生から「スナックは辞めて下さい」って言われたけど、辞めてどうやって稼げって言うのよ。結局、店に来ていた男と一緒に暮らすようになって店は辞めたけどね。それが「内縁の夫」。私の感覚では同居人だけど。彼と一緒に暮らすようになったのは、生活が助かるから。子どもたちを育てるのに不安がないと思ったから。子どもたちのためだったの。それがこんなことになるなんて…

 阪神大震災で当時住んでいたマンションの水が出なくなって、両親が持っていた東住吉の家に引っ越すことになったの。これがなければあの家に住むこともなく、火事も事件もなかったのにね。

◇ ◇ ◇

 青木さんと話していると、亡くなっためぐみさんへの愛情と後悔の念がひしひしと伝わってくる。それに私から見ると、青木さんは魅力的な「大阪のおばちゃん」だ。おしゃべりでおもろい大阪のおばちゃん。こういう人が娘を殺すだなんて、よく思ったものだ。

 もっともご本人にこう伝えたら「おばちゃんって言われたの、相澤さんが初めてよ!」という反応が 返ってきた。やはり女性に「おばちゃん」は失礼だった。まして青木さんは「心は31歳」だから…。よって訂正。青木さんは魅力的な「大阪の女性」です。

 ただ、いつも思ったことをズバズバ言うから、場の空気が凍ることもある。そのあたりが一部で反発を招くことになったのかもしれない。

警察署はなくなり、人生は続く

▲建て替え工事が進む東住吉警察署(3月27日撮影)

 24年前、青木さんが取り調べを受け、逮捕された大阪の東住吉警察署。青木さんは長年、その建物を見るだけで気分が悪くなっていた。ところが最近、東住吉警察署の建て替え工事が始まった。今は解体されて署の建物はない。青木さんが無理矢理自白させられた取調室も、もうない。

 「えっ、警察署がなくなっているって、びっくりしたわ。あそこには嫌な思い出ばっかりだけど、時代は変わるのよね」

 今、青木さんは近所のパソコン教室に通っている。出所当時は浦島太郎状態でパソコンのことなどまったくわからなかったが、それではメールのやりとりもできないし、現代社会で生活するのに不便極まりないからだ。今ではタブレット端末を持ち歩き、スマホも使いこなすようになった。番組の取材中とは大違いだ。

 以前は飛行機も新幹線も自分だけでは乗れなかったが、今では一人で全国各地を飛び回っている。3月には飛行機で熊本まで行き、「松橋事件」という冤罪事件の再審無罪の判決を傍聴。支援者たちと喜びを分かち合った。

 しかし世の中にはまだまだ冤罪を訴えて苦しんでいる人たちがいる。この人たちのため、青木さんはこれからも支援活動に取り組んでいくつもりだ。

 「私は一生懸命生きてきた。子どもたちを精一杯守ろうとしてきた。これからも真剣に生きていくわ。失った20年はもう何とも思わない。私は忙しいのよ」

 青木惠子さん。55歳。魅力的でパワフルな大阪の女性。彼女の人生は、これからだ。

大阪日日新聞論説委員・記者 相沢 冬樹


pagetop