週刊大阪日日新聞

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2019/5/18

東住吉事件 冤罪獄中20年(上)

ある女性の世にも数奇な物語

時間が止まった私

 家族4人で幸せに暮らしていた自宅が火事になり、最愛の娘を亡くしてしまった。悲しみも癒えぬうちに刑事がやってきて、「お前が家に火を付けて娘を殺したんや」と決めつけられたらどうします?「保険金目当てに鬼のような母親や」と言われ、無実を訴えても信じてもらえず、そのまま20年も獄中に囚われることになったら?

 これは大阪の青木惠子さん(55)の身に実際に起きたこと。やり直しの裁判で無罪になり、20年ぶりに塀の外に戻ることができたけれど、失われた時は戻らない。かわいい盛りだった8歳の息子は見知らぬ大人の男に。元気一杯だった両親は80歳を過ぎて介護が必要に。そして自分は、30代から50代になっていた。まるでタイムスリップしたようだ。長年塀の中に閉ざされて、ネットもスマホも、ガラケーだってわからない。そんなもの逮捕前は知らなかった…。そう、青木さんの時間は20年間止まったままだったのだ。

 世の中になじめず、他人の目が気になる。時々ふっと「刑務所に戻りたい…」とすら思ってしまう。それに「家族4人で幸せに暮らしていた」というのは、彼女が真実を知らないだけだった。なぜなら娘は…。

◇ ◇ ◇

 私は青木さんの無罪判決の直後から、ある疑問を感じて取材を始めた。それから3年近く、私が見つめてきた青木さんの姿を、今号と次号の2回で描こうと思う。20年という途方もなく長い時間の中で失った自分の人生を取り返そうと歩み続ける、1人の女性の世にも数奇な物語を。

大阪日日新聞論説委員・記者  相澤 冬樹

自白以外に物的証拠なし

ミニスカート姿で送る亡き娘の人生

▲毎月22日の月命日にはめぐみさんの墓参りを欠かさない。背後にいるのは息子

 青木惠子さんはいつも若々しい格好をしている。私が自宅を訪れた3月のある日も、黒タイツの上にミニスカートをはいていた。

 「私は若いときからずーっとミニよ。19歳でめぐちゃん(娘のめぐみさん)を産んでもミニ。周りには『何あれ?』って言う人もいたけど、その頃から私は『何よ、負けるもんですか』っていう気持ちだったからね」

 ほかにも黄色い花柄のワンピースなど、華やかな服装をしていることが多い。

 「私はもう50歳を回っているけど、30代で時が止まっているから。突然50代の服なんて着られない。自分の年齢をわかっていても、やっぱり31歳(逮捕時)の時に着ていた服っていう感じで、それが私にとっては自然なのよ」

 獄中で20年の時が奪われたことを象徴する話だ。だが実は、この服装にはもう1つの意味合いがある。火事で亡くなった娘、めぐみさん(当時11歳)の身代わりなのだ。

 「めぐちゃんが生きていたら、今ごろは30代でしょ。でもめぐちゃんがその歳を生きることはない のよね。私もその歳のころは獄中にいたから外の世界で生きていない。だから今、その歳を生きてる。30代のような服装をするのよ。めぐちゃんができなかった服装を。めぐちゃんは黄色い花が好きだった。特にひまわりが。だから花柄の服を着るし、ハンカチだって黄色のひまわり柄よ。私は自分の人生と一緒にめぐちゃんの人生を生きてるの」

冤罪が残した心の傷跡

 無実の人が警察や検察の捜査で濡れ衣を着せられ罪を負わされる「冤罪」。青木さんは逮捕直後から無実を訴え続け、無期懲役を覆し完全無罪を勝ち取った。発生した地名から「東住吉冤罪事件」として名高い。

 発端は24年前の1995年(平成7年)7月22日。大阪市東住吉区にあった青木さんの自宅から火が出て全焼。青木さんと小学生の子ども2人、それに電気工事業をしていた内縁の夫の4人が暮らしていたが、入浴中だった娘のめぐみさんが亡くなった。火元は自宅内のガレージ。外部から侵入した形跡はない。警察は、青木さんが内縁の夫と共謀し、娘の保険金目当てにガレージでガソリンに火を付け、めぐみさんを殺害したとして2人を逮捕した。

 その日、青木さんを東住吉警察署に連行した刑事は、取り調べで衝撃的な事実を口にした。内縁の夫がめぐみさんに、性的虐待を繰り返していたというのだ。遺体にその痕跡があった。警察はすでに内縁の夫に性的虐待を認めさせていた。しかし母親の青木さんはまったく気づいていなかった。めぐみさんはお母さんに何も言えなかったのだろう。

 「刑事がいきなりあの男(内縁の夫)とめぐちゃんのことを話してきたの」「お前も知ってたんやろ、女としてめぐを許されへんから殺したんやろ、と言われた」「もう私はショックを受けてパニック状態。頭の中が真っ白になったわ」「お前は鬼のような母親やな、めぐみに悪いと思えへんのか、素直に認めろ、と大声で怒鳴って机を叩いてくるのよ」

 驚愕の事実を突きつけられて混乱する中、青木さんは刑事に言われるままに自供書を書いた。これが逮捕の決め手になった。刑事は内縁の夫にも、放火殺人を否認すれば「性的虐待をマスコミにばらす」と告げて自白させた。自白以外に直接の物的証拠はなく、青木さんはすぐに再び否認したが、裁判所は2人に無期懲役の判決を下した。

 犯行の動機とされた保険金は、子どもを持つ親の多くが加入する学資保険だった。しかも火事の3年も前に保険外交員の勧めで加入したものだ。判決は、この保険を動機に放火殺人をすることに疑問を示しながらも「あながちありえないことではない」と判断した。青木さんは「裁判官にも信じてもらえない」と絶望したという。


娘への愛情と後悔

火事は自然発火 一転無罪に

亡くなった娘のめぐみさん

 青木さんが刑務所に入った後も、弁護団は粘り強く無罪の証拠を探し求めた。そして5年。再現実験を行った結果、自白通りの方法でガソリンをまいて火を付けると本人が大やけどをしてしまうため、放火は不可能だと突き止めた。さらに、自宅のガレージにあったホンダの軽トラックの給油口からガソリンが漏れる可能性があることを、全国のほぼ同型の車種の調査などから割り出した。

 「火事は放火ではなく、車から漏れたガソリンに風呂釜の種火が引火して自然発火した可能性が高い」

 有罪の根拠は崩れ、大阪高等裁判所は裁判のやり直し(再審)を認めた。同時に、刑の執行停止も認められ、青木さんは刑務所を出て、20年ぶりに自由の身になった。そして翌2016年(平成28年)8月10日、青木さんはやり直しの裁判で、晴れて無罪判決を勝ち取った。

 同時に、内縁の夫だった男性も無罪になった。放火殺人はもちろん無罪だし、娘への性犯罪は時効で、もはや立件できない。

無罪確定後に始まった取材

 青木さんの無罪判決当時、私はNHK大阪報道部の記者で、裁判の取材を担当するようになったばかりだった。判決文を見て、初めて性的虐待の事実を知り、心を揺さぶられた。大手マスコミはどこもそのことを報じていなかった。めぐみさんは最大の被害者なのに、受けた被害を「なかったこと」にされているようなものだ。この家族にいったい何があったのか? きちんと経緯を取材して放送できないか? これが取材の動機になった。

 それから1年4か月。取材の成果はNHKスペシャル「時間が止まった私」という番組になった。大人になった息子。高齢になった両親。20年の空白で失われた家族との絆を取り戻していく姿がメインテーマだ。同時に、めぐみさんが受けた被害と、青木さんのめぐみさんへの思いも描いた。

 番組の取材途中で、認知症の症状が出ていた青木さんの母親が自宅を出て行方不明になり、その後、遺体で見つかるという悲劇が起きた。番組は、この悲劇に立ち向かう青木さんと家族の姿も描いた。

 それからさらに1年4カ月がたった今年3月。私は再び青木さんの自宅を訪ねた。青木さんの生活も心境も、少しずつ変化していた。

大きな幸せはもうない

 青木さんが暮らす部屋はがらんとしている。必要最小限の家具を除き調度品があまりない。特に家電製品が少ない。最新の家電機器は使い方がわからないから苦手だ。青木さんはきれい好きで毎日のように掃除をするから、床にはちり一つなく、余計に生活感が感じられない。

 そんな部屋でひときわ存在感があるのが仏壇だ。毎朝、仏壇に花とお茶を供え、めぐみさんに話しかけるのを、青木さんは日課にしている。その日1日の予定を語りかける。

 仏壇に飾られた写真は、8歳の時に写真館で勧められて撮影したウェディングドレス姿のめぐみさんだ。

 「幼い時に花嫁姿で写真を撮ると、生き急ぐことになるから早死にするという言い伝えを後で聞いたの。この写真を見るたび、そのことを思い出して悔やむのよね。でもこれが火事で残った唯一の写真だから、すごく大切なの」

 この部屋で一人で暮らしていて、寂しくはないのだろうか?

 「私はずっと一人で暮らしたことがなかった。高校を卒業して親元を出たけど、すぐに男と一緒に暮らしたし(後に夫になる男性)、夫と別れた後はめぐちゃんやSちゃん(下の男の子)と一緒だったし、逮捕されたら獄中だし。今初めて一人でいるけど、ちっとも寂しくない。いつもめぐちゃんと話してるから。朝だけじゃなくて、いつも何かあるとめぐちゃんに話しかけてるのよ。『ねえ、めぐちゃん、あのねえ』って。だからちっとも寂しいと思わない」

 「(冤罪関係の)講演なんかで遠出して自宅を空けるじゃない。そんな時、小さい子どもを置いて出かけている感じがするのよ。まだ子どものめぐちゃんを残したまま、という感じがね」

 毎月22日の月命日には墓参りを欠かさず、火災現場にも花を手向けに通う。火事から救い出せなかった。性的虐待に気づかず、助けてあげられなかった。めぐみさんにただただ「申し訳ない」という思い。

 「私は死ぬまで『申し訳ない』という気持ちを抱きつつ生きていくし、それは一生忘れないという思いでいるの」

 「刑務所を出てきた時、『苦労したんだから幸せになってね』とみんな言ってくれた。でも現実に待っていたのは親の介護だった」

 「私には日々の小さな幸せはあっても、大きな幸せはもうないの。求めてもいないし。自分だけ幸せになるのは罪悪感があるわ。だからもう結婚もしない…」

 めぐちゃんとともに暮らし、めぐちゃんの人生を生きる。これからもずっと一人で生きていく決意だ。

>>続く

東住吉事件とは?

 1995年7月22日に大阪市東住吉区の住宅で火災が発生。当時11歳だった青木めぐみさんが亡くなった。この火事をめぐり、内縁の夫と共謀して保険金目的で放火し娘を殺害したとして、母親の青木惠子さんが逮捕され、殺人罪などで無期懲役の判決が確定した。青木さんは一貫して無実を訴え続け、弁護団の執念の実験で、自白通りの方法では放火できないことが立証され、再審で無罪を勝ち取った。東住吉冤罪事件として広く知られている。


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