2017/1/28

そうやったんや! 畑山博史のわかるニュース
横綱・稀勢の里、誕生の背景

すべては3月大阪の春場所次第

 お兄ちゃん≠アと3代目若乃花(現実業家)以来、19年ぶりの日本出身横綱・稀勢の里が初場所初優勝後に誕生した。昨年1度も優勝しないで年間最多勝(通算69勝21敗で1場所平均11.5勝、準優勝4回)という珍しい記録を樹立。来月12日からエディオンアリーナ大阪(浪速区の大阪府立体育会館)で始まる大相撲春場所でお披露目となる。

 私は元日本相撲協会三賞選考委員で、現在も日本学生相撲連盟副理事長であり日本相撲連盟公認審判資格を持つ相撲の専門家。横綱誕生の背景と彼の将来性を考えてみよう。

古参横綱の意地を撃破

 少し専門的な話になるが、初場所千秋楽で既に優勝が決まっていた稀勢の里と、前日に敗れ11勝3敗の横綱白鵬との結びの一番を振り返る。稀勢の里は左差し(左手を相手の腕の下に入れてまわしを取る)得意の左四つ。逆に白鵬は左上手(左手が逆に相手の腕の上からまわしを取る)十分の右四つ。これを専門用語で「けんか四つ」と言い、こういう場合立ち合いで自分の形になった方が圧倒的有利。私が「ハッ」としたのは、白鵬が鋭く立って迷わず左を指し一気に西土俵に寄り立てた場面。白鵬の得意形からはどう見ても逆。つまり稀勢の里十分な形に白鵬が自分からなりに行った。

 結果は土俵際で稀勢の里が残し、得意の左をこじ入れて逆転のすくい投げ。立ち合いの鋭さから白鵬が手心を加えた疑いはない。つまり白鵬はわざと稀勢の里十分の形になって一気に寄り切って勝ち、古参横綱の意地を見せたかったのだろう。

慕っていた先代師匠の死

 稀勢の里の亡くなった師匠・先代鳴戸親方(元横綱・隆の里、2011年、59歳で死去)は、土俵の鬼≠ニ恐れられた初代若乃花の二子山親方(元横綱、10年、82歳で死去)に育てられた昔気質のお相撲さんだった。柔道や剣道と同じ日本伝統の武道である相撲の土俵の美学≠重んじ、稀勢の里に「喜怒哀楽を表に出すな。武士(もののふ)である力士は、泰然自若とせよ」と徹底的に教え込んだ。

 稀勢の里は中卒でプロ入りした今時珍しいたたき上げで、その分先代師匠の教えを愚直に守り18歳3カ月で新入幕、25歳で大関とスピード出世した。それが横綱昇進で昭和以降7番目30歳6カ月まで掛かったのは、大関昇進直前に鳴戸親方の急死というアクシデントがあったせい。

 父のように慕っていた師匠の死後に大関となり、稀勢の里をしかる人間がいない。実質、部屋の中では放任状態となり、体力的素質に恵まれながら精神面の弱さが克服できないまま度々チャンスを逸し「大関在位31場所目で横綱昇進は昭和以降3番目のスロー出世」という不名誉な記録を作ってしまった。

 現在の部屋で誰も経験がない大関横綱の心得を、大事な時に何にも教えてもらえなかったのが不幸の始まりだった。

理事長の夢、日本出身横綱

 彼の欠点は、11年秋場所関脇で準優勝以来通算12回の準優勝という勝負弱さ、つまり精神面。先の初場所でも、場所前に誰一人「稀勢の里の綱とり」と言わなかった事がノープレッシャーで初優勝、横綱昇進につながった。しかも、日馬富士、鶴竜、豪栄道と3人の横綱大関が途中休場で対戦がなかった。

 協会内事情もある。再選後、1年が経過した八角理事長(元横綱北勝海)は年頭抱負で「今年こそ日本出身横綱誕生を」と期待感を示した。少数派閥高砂一門出身の理事長を強く支える主流派番頭格が大派閥・二所ノ関一門の実質トップ、二所ノ関親方(元大関若嶋津)。番付編成に強い力を持つ審判部長が同親方で、「理事長の夢を、自らの一門で」とあっては待ったなし≠燒ウ理はない。

 彼のマインドでは、場所前の綱とり大フィーバーの重圧に耐えられないし、先輩3横綱が簡単に負けるとも思えない。新横綱はそれでなくても場所前の行事や慣れない土俵入りの負担が大きい。15日制が定着した1949年以降、新横綱即優勝は大鵬(13年、73歳で死去)、貴乃花(現親方、理事)、そして稀勢の里の師匠・隆の里しかいない。

 「結果がすべて」の勝負の世界で、稀勢の里が世間に認められるには、ひたすら勝つしかないのだ。