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2020/3/12

人 INTERVIEW

「故郷に誇りを」組曲「西條」を構想 

元中学校校長 平田 剛さん(77)

平田 剛さん
ひらた つよし
1942年、朝鮮生まれ。三次市三和町在住。山口大学教育学部卒。65年4月〜沖中学校、69年4月〜宮島中学校、77年4月〜熊野中学校、81年4月〜西条中学校、92年4月〜磯松中学校で教頭、96年4月〜松賀中学校で校長、2000年4月〜西条中学校で校長。組曲「西條」の取り組みが評価され、西条中学校が平成30年度広島県教育賞を受賞。令和元年秋の叙勲で瑞宝双光章を受章。

 1965年4月から2003年3月まで、広島県内の公立中学校で学校教育に携わった。西条中学校の生徒が長年にわたって取り組む組曲「西條」の立役者としても知られる。

 小・中・高校と野球に明け暮れ、大学時代は野球部のキャプテンを務めた。プロ野球選手を目指していたが、チームとして芽が出ず、注目される機会に恵まれなかった。「でもしか先生≠チて言葉を知っているかな。教員にでも≠ネろうか、あるいは、教員しか≠ネれない人のことを指してそう呼ぶ。まさに私がそうだった」と冗談めかしながら「教員としての能力というより、周りの人に恵まれ、助けられた38年間だった」と振り返る。

 最初の赴任は江田島の沖美町にあった沖中(現・能美中)。バレーボール部やソフトボール部の指導を任され、郡市で優勝できるような部に成長させた。部活の指導力が見込まれ赴任した、廿日市市の宮島中では初めて野球部を指導。「指導に迷うこともあった」が、同中での教え子、佃正樹さんは広島商業高のエースとして活躍し、1973年夏の甲子園で全国制覇を果たした。

 38歳の時に西条中へ。学校が荒れていた時期で、たばこやシンナーを吸う生徒の指導にあたった。「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」という吉田松陰の言葉を胸に、「誠の心を尽くせば、人は必ず心動かされる」と誠心誠意で生徒と向き合った。その頃、コーチを任されていた野球部には元広島東洋カープ投手の山内泰幸さんの姿もあった。

講演する平田さん(西条中校長当時)
▲講演する平田さん(西条中校長当時)

 磯松中へ教頭として赴任した後、松賀中で校長を4年間務め、再び校長として西条中へ。退職を1年後に控えた頃、他の教員たちと一緒に「子どもたちが郷里に自信と誇りが持てるものをつくりたい」と、組曲「西條」を構想。ソーラン節をアレンジした「南中ソーラン」で全国に知られた、北海道の中学校へ3人の教員を送り込んだ。地域住民や保護者に助けてもらいながら、全教員が一丸となって作り上げた。組曲「西條」は、2002年10月の酒まつりで披露された。

 退職後は、60歳まで続けた野球をやめ、元同僚に誘われて始めたソフトテニスに打ち込む日々。「子どもが楽しい学校をつくるために、現場一筋でやってきた。今後は健康に気を付け、奥さんとけんかしながらゆっくり過ごしたい」とほほ笑んだ。

(茨木)


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