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2019/7/25

東西を結ぶ交易港・鞆が生んだもの

第三章 広島人はなぜ、グローバルな発想が得意なのか
グローバルな力 いいものはガンガン取り入れて広島の色に染める

岩中祥史「広島の力」(青志社)より

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 かつての広島、安芸・備後両国には西国さいごくh街道が走り、瀬戸内海を走る航路もあった。そのためこの一帯は陸と海の双方を、さまざまな国の人たちが行き来していた。

 人との出会い、あるいは他国の風物などと接触を重ねていくうち、かの地の人々の視野はおのずと広くなっていった。そうした中で、出会いや接触がもっとも多かったのではと思われるのが備後のともである。

 鞆は1956年に福山市に編入されたが、かつては一つの町であった。位置的には、沼隈ぬまくま半島の南東端、燧灘ひうちなだに面している。港が漢字のともえに似た形をしていたため巴津とも呼ばれ、それが「鞆」という地名の由来でもある。

 瀬戸内海は、全体が潮の流れる巨大な川に例えることができる。しかも、東と西ではその流れが逆転する。狭い海域に多くの島々が複雑に入り組み、同じ場所でも時間帯によって水が異なる動きをするからだ。

 父親の実家が代々鞆で船宿をしていたという盲目の音楽家・宮城道雄は、尾道から鞆まで船で移動しているとき、同乗した恩師が「此処は『口無くちなしの瀬戸』と云って、どちらへ出て行ってよいか出口が分からない」と語ったことを記している(千葉潤之介編『新編 春の海 宮城道雄随筆集』)。「口無の瀬戸」とは、阿伏兎あぶと岬と(向かい側の)田島の間にある、幅約500メートル、長さ約1キロの水道のことで、満潮時には南へ、干潮時には北へ向かう強い潮流を生ずる難所だった。船を操る水主かこも、相当熟練していないといとも簡単に舵を取られてしまい、へたをすると船ごと持っていかれる恐れがあった。

 その瀬戸内海、西の豊後ぶんご水道、関門かんもん海峡から流れ込んでくる潮と、紀伊きい水道、鳴門なると海峡から流れ込んでくる潮がちょうどぶつかり合うのが鞆の沖あたり になる。

 そのため、東西どちらから瀬戸内海に入っていくにしても、鞆の港で潮目が変わるのを待たなければならない。その間、乗組員は陸に上がることになるので、潮待ちの港はどこも皆、大変にぎわった。

 8世紀半ばに編纂された『万葉集』にも、この地をんだ歌が八首残されている。上陸したあと、それくらいゆっくりした時間を持つこともできたのだろう。というか、港の近くで長い時間足止めを食わされることも多かったにちがいない。

 江戸時代の鞆は数千の人口を擁し、備後福山藩内では福山に次ぐ町で、藩内最大の商業都市であった。鞆で潮待ちをしていたのは、国内の船だけではない。古くは遣唐使や遣新羅しらぎ使、近世になってからは北前船きたまえぶね、朝鮮通信使や琉球からの使節を乗せた船も入港・停泊していた。

 港というのは、文化・文明が入ってくるところであると同時にそこから内陸に向けて広がっていく場所である。

 「港湾既に人類の集合する所たり、貨物の輻輳ふくそう所たり。是れ売買取引に都合き所。すなわち港湾の沿岸は商業の繁昌する所。従つて大都府の発達する所、従つて又た富の集中する所たり。〈略〉

 人類の多く集会する所、ことに海外の文化に接触する機会に富む所、是れ文化の起発する所たり。是に於てか港湾は其国、其地方の文化の輸入地にして又た起発点たるなり。かくて文化はこれより輻斜ふくしゃ状に内地に伝播でんぱす。されば港湾に対する距離の遠近、関係の粗密そみつを以て其地方の文化の程度の大概おおむねぼくするを得べし。半島が文化の起発点たることも、島嶼とうしょが文化の大成点たることも、畢竟ひっきょう港湾の異種の文化を迎ふるあればのみ。〈略〉」(牧口常三郎『人生地理学(上)』)

 港というのは人や物が多く集 まるところなので、商取引が盛んである。都会が生まれるとともに富も集中しやすい。

 また、多くの人、とくに外国人と接する機会の多いところは文化の電源地となる。港は、外から文化が入り、それが周囲に広がっていく場所でもある。港とどのくらい離れているかによって、その地域の文化水準は推し量ることができる。

 半島や島の文化水準が高いのも、港に近く海外の文化が伝わってきやすいからだ。港から半島へ、そこからさらに内陸へ、あるいは周辺の島々へという経路をたどりながら、文化・文明は拡散していくのである。

 鎖国令が敷かれる前は、長崎や平戸ひらどに置かれていたイギリスまたオランダの商館からやってきた紅毛碧眼こうもうへきがんの外国人も出入りしており、鞆は瀬戸内海では唯一と言っていい国際都市でもあった。外国人と出会えばその生活習慣や文化とも接するわけで、それが人々の感覚にもさまざまな影響を及ぼしたにちがいない。

 1616年、イギリス商館の館長リチャード・コックスが、シャム(現タイ)国王から受注した鉄6万きんを購入するため、平戸からこの地を訪れたことがある(最終的には1万2千斤を購入)。鞆にはイギリス商館の指定船宿があったらしい。

 たしかに、中世のころから、鞆のすぐ北を流れる芦田あしだ川の流域では、中国山地の砂鉄を原料とした刀が作られており、刀鍛冶も数多くいた。そのため鉄は容易に手に入れることができたのだろう。また、明との勘合かんごう貿易でも、鞆から大量の刀剣類が輸出されている。

 ただ、17世紀も半ばを過ぎ、国内での合戦が激減すると、それまで刀などの武器を作っていた刀鍛冶は転業を余儀なくされ、船具(いかりや舟釘)を作るようになった。「鞆の錨」は定評があり、錨の生産量では、広島藩の尾道と合わせて全国の90%以上を占めていたという。

 江戸時代後期に入ると、航海技術の進歩や陸上交通へのアクセスに不便があったため、港湾拠点としての役割は尾道に移っていったが、福山藩内では以後もなお最大の港として機能していた。


岩中祥史(いわなか よしふみ)
 1950年11月26日生まれ。愛知県立明和高校から東京大学文学部に進み、卒業後は出版社に勤務。1984年より出版プロデユーサーとして活動するとともに執筆活動も。地域の風土と人々の気質との関係をテーマに、『名古屋学』『博多学』『札幌学』『鹿児島学』『新 不思議の国の信州人』『新 出身県でわかる人の性格』『名古屋の品格』『城下町の人間学』など著書多数。2011年の上梓した『広島学』はご当地広島の人たちをも驚かせる内容で、ベストセラーになった。


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