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2019/4/11

リアリズムの極意!

第二章 広島人はなぜ、ファミリー意識が強いのか
「仁義なき戦い」の力 “広島モンロー主義”を貫きたい

岩中祥史「広島の力」(青志社)より

 次章でも触れるが、東映映画『仁義なき戦い』(監督・深作欣二ふかさくきんじ)が、『キネマ旬報』の「オールタイム・ベスト映画遺産200(日本映画編)」で第5位に選ばれたのは2009年。星の数ほどある日本の映画作品の歴代トップ5にランクされたのだから、よほどの名作である。筆者も学生時代、全作品を少なくとも3回ずつは観た記憶がある。

 全部で5作続いたシリーズの舞台は、太平洋戦争直後から1964年ごろまでの広島と呉。この二都市のヤクザ(1作目では主に山守組と土居組。その後は大友組、村岡組、広能ひろの組、打本会、天成会、早川組、市岡組、さらに神戸の明石組、神和会など数多くの組織が登場)が繰り広げた、血で血を洗う凄惨な抗争を描いたものである。

 飯干晃一いいぼしこういちの原作のベースになったのは、実際その争いに身を置いた呉のヤクザ美能みのう幸三が1963年から70年まで、網走あばしり刑務所服役中に綴った手記である。東映が実録≠ニうたったのはそのためで、それが同作品のリアリティーをいっそう高め、こんな恐ろしいことが本当にあったのだということを知って驚いた。

 山守組の若衆わかしゅう・広能晶三(モデルは美能)を演じたのは菅原文太。共演した金子信雄、松方弘樹、梅宮辰夫、成田三樹夫、遠藤辰雄、小林旭、志賀勝、室田日出男、加藤武、北大路欣也、山城新伍、内田朝雄、田中邦衛、川谷拓三かわたにたくぞうらによる広島弁のセリフに強烈な衝撃を受け、そのイントネーションや語調が数日の間、頭にこびりついていたことをいまでも思い出す。

 元TBSプロデュ―サーで演出家の鴨下信一は「出演者は各々のベスト・パフォーマンスを見せているが、これらの誰よりも大スターがいて、その魅力が全編を支えている。それは広島弁である」(『会話の日本語読本』)と書いているが、これほど当を得た言葉はあるまい。

 菅原も、「方言ていうのは、芝居 つくってくうえで適切なんじゃないですか。標準語よりもね。土のにおいがするというか。芝居してて、いちばん感じをつかみにくいのが標準語ですよね。言葉が生きてない」と、『週刊朝日』のインタビューで答えている。

 脚本の笠原和夫は綿密な取材を重ねる中で広島弁を研究し、辞書まで作ったとのウワサもあった。とはいえ、広島弁独特の語感を100%つかみ切れるものではない。そこで広島県(旧西条さいじょう町=現東広島市)出身の岡田茂東映社長(当時)がときおり口にしていた言葉を思い起こしながらセリフをつむいでいったという。それが、演技をよりビビットなものにし臨場感を増したのだ。

 また、山守組組長・山守義雄の役について、深作は三國連太郎を起用しようとしたが、社長の岡田が「三國の広島弁は考えられない。広島弁の明るさが出なければだめだ」と拒んだため、金子信雄が抜擢されたというエピソードもある。

 さらに、第1作目で土居組若衆がしらの若杉寛を演じた梅宮辰夫が「おい、テンプラがバレゃぁせんかのぉ」というセリフを口にするシーンの撮影時、見学していた岡田が「違うぞ、辰!

 バレゃぁ、じゃのうて、バレやあ、って上げてみろ」と指摘し、梅宮がそれに従うと、「よし、それでいい」とOKを出したとの話も伝えられている。

 要するに、リアルな広島弁のセリフの裏には、広島県に生まれ育った岡田自身の指示が大きくものを言ったのである。

 広島弁は、同じ中国地方でも東隣の岡山弁とはかなり異なる。岡山弁のアクセントは関西弁に近いが、広島弁のほうは東京周辺で使われる共通語に似ている。また、テンポも岡山弁よりやや早い。そうしたディテールやニュアンスがほぼ完璧に反映されていたことが、観る者の作品に対するはまり方、イレ込み方を強めたように思えるのだ。


岩中祥史(いわなか よしふみ)
 1950年11月26日生まれ。愛知県立明和高校から東京大学文学部に進み、卒業後は出版社に勤務。1984年より出版プロデユーサーとして活動するとともに執筆活動も。地域の風土と人々の気質との関係をテーマに、『名古屋学』『博多学』『札幌学』『鹿児島学』『新 不思議の国の信州人』『新 出身県でわかる人の性格』『名古屋の品格』『城下町の人間学』など著書多数。2011年の上梓した『広島学』はご当地広島の人たちをも驚かせる内容で、ベストセラーになった。


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