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2019/4/4

ジイジ・バアバ、パパ・ママへ贈る

心のめばえ アヤと過ごすジイジの日記 <34・終>

著者/牟田 泰三
挿絵/橋本 礼子

心って何だろう

 ジイジはアヤの心の成長に的を絞って観察を続けてきた。ところで、肝心の「心」とは一体何なのだろう。「心」ということばの意味を辞書で調べると、「人間の精神作用のもとになるもの、またその作用」などと書かれている。確かにそうなのだけど、これでは「心」の本質的な意味が分かったとは思えない。人の身体の働きとどう関わっているのだろうか。

 古代の人々は、心は心臓にあると思ったようである。その証拠に「心」という字は、中国古代(紀元前二千―千年頃)には篆書てんしょで「」と書かれており、これはまさしく心臓をかたどったものである。また「心臓」という言葉そのものが心の臓器だということを示している。英語でも心と心臓のことを共にハートというし、ドイツ語でもヘルツは心と心臓を表す。いまでも私達は無意識に胸を叩いて「私の考えでは・・・」などと言う。胸の鼓動が心と関係していると思うからだろう。しかし、心臓の機能は心とは直接関係がないことはよく知られている通りである。

 心を司る臓器が心臓ではないとすると、それはどこにあるのだろうか。古くから、心(精神)と肉体(身体)とは切り離して考えるべきものであるという考え方があった。この考え方に従えば、身体と精神は別々のものであって、身体の動きは精神によって支配されていることになる。だとすると、人が死ぬと身体は朽ち果てるが、精神は身体から抜け出て虚空をさまようことになる。

 一方、精神は身体と不可分のものであって、身体の機能そのものであるとする考え方がある。ギリシャ哲学においても心に関する考察がしばしばなされているが、なかでも、アリストテレスは「心とは何か」という著書の中で、この問題に正面から向き合った議論を展開しており、心は身体から切り離すことができないものであると述べている。

 ここではアリストテレスの考え方に従うことにしよう。真っ先に思いつくことは、精神活動の中枢は脳ではないかということである。この脳はコンピューターのような働きをしていると思われている。コンピューターは進化すれば、AI(人工知能)技術によって、どこまでも脳に近い装置になっていくかも知れない。確かに、記憶とか論理判断などは、明らかに人間の脳に勝る働きを示している。

 ジイジは、心とは、脳を中枢とした全身的な情報処理機能のことで、基本的にはコンピューターと同等ではないかと考えている。しかし、進化したコンピューターが、心と同じように、意識や感情を持つことができるかどうかは未解決の問題であり、多くの研究者がこの問題に挑戦している。意識とか感情とかが生まれるメカニズムが解明されて初めて「心って何だろう」という問いに対する明確な解答が与えられるであろう。

 心とは何かという問いは、「生命」とは何かという問いに行き着くのかもしれない。動物や植物のように生命を持った存在は、石ころや水のような無機的な物質と連続的につながっているのだろうか。

 生命あるものも無機的なものもひっくるめて、物質が何から出来ているのかということを突き詰めていくと原子や分子に行き着く。更に、現代物理学では、原子や分子もより基本的な存在、すなわち素粒子から成り立っているとされている。このように我々の世界は、より基本的な構造の積み上げによって出来ており、生命あるものも無機的なものも共に、宇宙|銀河|人間|原子・分子|素粒子というような階層構造の中にある。それなのに生命あるものと無機的なものとの区別が生じるのはなぜだろう。

 階層構造を持った組織体のうちのあるものが、下層構造から導き出せない生命のような性質を持つようになることは創発(エマージェンス)と呼ばれることがある。複雑な構造体では、下層部の性質の単純な総和で説明できない性質が、全体として現れるというのである。生命現象はこのようなものであろうか。心も創発の産物なのだろうか。


プロフィル むた・たいぞう

 1937年、福岡県生まれ。九州大学理学部卒業、東京大学大学院物理学専攻修了、理学博士。京都大学助手・助教授、広島大学教授・学長、福山大学学長などを歴任。主な著書に「語り継ぎたい湯川秀樹のことば」(丸善出版)、「電磁力学」(岩波書店)、「量子力学」(裳華房)などがある。東広島市在住。

「心のめばえ」の連載は今回で終わります。
4月下旬に、未発表エッセーを加えて書籍化いたします。お楽しみに。


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