
理想的には、芸術としての書法作品には「文字による情報」、「創造性」、そして「美」が表現されている。これらの要素は、特別に訓練を受けた鑑賞者しか理解できないものでもなければ、また鑑賞者が努力して見出さなければならないものでもない。そもそも書法といわず芸術は作者がその心情をあまねく人々に訴えるために制作されている。強いて言えば書法が中国語を用いているため理解するにはある程度の語学力を要することはやむを得ないが、一般的な知識と感性を有する人であれば労せずして感知し理解し得ることであり、またそのように表現することこそ書法家に課せられた使命だからである。
逆に言えば、普通の人が見てわからない、即ち意味が理解できない、或いは創造性や美が感じられない作品は芸術ではない、と断言して憚らない。無論、鑑賞する人によって知性・感性はまちまちであり、作品の評価が人ごとに異なるのは当然の帰結である。すべて物事には人によって好き嫌いがあるように、書法作品の価値も絶対的なものではあり得ず、それぞれの人の評価こそ最も貴ばれる。
さりながら、現実には常人の理解し難い書法作品に遭遇することがある。一つは考古学または歴史上の作品であり、これらは芸術性よりもむしろ学術的な見地から考証されるべきものである。また一つは、殊更に古典を模したり、意図的に難解な、或いは曖昧な表現をした作品で、それはそれなりの作者の意図があってのことであろうが、それを芸術的に如何に評価するかということについても、前述の評価基準以上のものはあり得ない。