
| 尊号 | 名 | 生没 | 出生順位 | 年号 | 即位年 | 在位年数 | 子女 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 太祖 | 努爾哈赤 | 1559-1626 | 天命 | 1616 | 11 | 16子 8女 | |
| 太宗 | 皇 太 極 | 1597-1643 | 第8子 | 天聡 崇徳 |
1627 1636 |
9 8 |
11子 14女 |
| 世祖 | 福 臨 | 1638-1661 | 第9子 | 順治 | 1644 | 18 | 8子 6女 |
| 聖祖 | 玄 燁 | 1654-1722 | 第3子 | 康熙 | 1662 | 61 | 35子 20女 |
| 世宗 | 胤 禎 | 1678-1735 | 第4子 | 雍正 | 1723 | 13 | 10子 4女 |
| 高宗 | 弘 暦 | 1711-1799 | 第4子 | 乾隆 | 1736 | 60 | 17子 10女 |
| 仁宗 | 顒 琰 | 1760-1820 | 第15子 | 嘉慶 | 1796 | 25 | 5子 9女 |
| 宣宗 | 旻 寧 | 1782-1850 | 第2子 | 道光 | 1821 | 30 | 9子 10女 |
| 文宗 | 奕 詝 | 1831-1861 | 第4子 | 咸豊 | 1851 | 11 | 2子 1女 |
| 穆宗 | 載 淳 | 1856-1874 | 同治 | 1862 | 13 | 無し | |
| 徳宗 | 載 湉 | 1871-1908 | 光緒 | 1875 | 34 | 無し | |
| 溥 儀 | 1906-1967 | 宣統 | 1909 | 3 | 無し |
清王朝では一六一六年から一九一一年まで二九六年に及ぶ支配期間中に十二人が玉座についた。そのうち入関(東北地方から山海関を越えて西に入ること)前が二帝で二十八年、北京遷都後が十帝二百六十八年である。
意識的に数字を見れば、北京遷都後では、隆盛を極めた康熙、雍正、乾隆三帝の在位期間が百三十四年で、奇しくも他の七帝の在位期間百三十四年と一致する。また、咸豊以後宣統に至る四帝の在位期間は六十一年で、これは康熙一帝の在位期間に等しい。その康熙帝は順治十八年正月初に帝位についているので、実質的には六十二年、乾隆帝は太上皇の座にあったので実際には六十三年在位したことになり、この二帝の在位期間の長いことは史上に例を見ず、当代王朝の安定ぶりがうかがえる。
寿命の点から見ても、幼くして帝位を退いた宣統帝は無視して、十一帝の平均寿命は五十二歳となり、開国順治帝の二十三歳と末葉三帝の咸豊三十歳、同治十八歳、光緒三十七歳を除けば、隆盛期七帝の享年は乾隆八十九歳を筆頭にいずれも五十歳を越えている。
各帝の即位年齢は北京遷都後開国二帝が順治六歳、康熙八歳、末代三帝が同治六歳、光緒四歳、宣統二歳となっており、幼帝を擁立したことも時代背景と無関係ではない。
皇位の継承は在位帝の指名により定められたため、各帝の出生順位は一様ではない。いずれの世代にも皇権をめぐって骨肉の争いが演じられた結果である。
各帝がもうけた子女の数は康熙帝の三十五子二十四女を筆頭に、初代から道光帝までの平均二十四人となる。しかもこの数は王妃八階級のうち上位六階級に生まれた子に限られ、最も人数の多い下位二階級の子は記録されていない。これに対して咸豊帝の子は僅か二子一女(一子は夭逝)、続く同治帝以降末代三帝は無子女で、ここにも亡国の趨勢を見ることができる。